握る手がない、誰がそうさせた、孤児院マーディー。

r-mutt2007-06-02

ソフトボール。それからカメラ片手にカイロ中心部から車で30分くらい、マーディーという地区にある孤児院に行く。もちろん青年海外協力隊の方たちの活動を見たかったから。

協力隊の方たちの今回の活動は孤児院に行って、彼らの息抜きになるということ。日本に理解を持ってもらうという以前に、退屈な孤児院で何か楽しいことをやろう、みたいな感じだ。僕も初めてだったから、そっちのほうが肩の力が抜けていい。

休日とはいえもちろん頭のどこかで何かいい企画にならないかな、って卑しくも思っているし、それを相手に伝えて了解を得た上でカメラ回したわけだけど、何をメインに撮ろうかな、ってまず考えた。孤児じゃないな、って思った。ここは海外で活動する日本人だ。もちろん孤児の子らも撮る。けれど、今日ここで特に撮れるのは(こんな)中東で半ばボランティアで働く協力隊だ、と思ったのです。

帰りの車の中で、それまで明るく振舞ってた協力隊の一人(とても仲良くしてもらってる)がこんなことを呟いた。
「1年を過ぎる頃になると、だんだんわかんなくなっちゃう奴、でてくるんすよ。」
僕には何となくそれがよく分った。2時間ほどレクリエーションを見ていて、こういう活動の難しさ、見返りもなく押しつけてもダメだし、けれど何を求めて活動するのか、という難しさをひしひしと感じた。
「結果にならないから?」
僕はちょっと口にしにくいな、と思いながらもそう尋ねた。せっかく彼がちゃんとはなしてくれてるんだから、僕もちゃんと訊かないといけないな、と思った。彼は寂しそうに笑った。
「1年過ぎました。あと1年で帰ります。形になればいいんですけど」
*    *    *
キンキンに冷房の効いた大学の教室で、国際関係論や国際開発協力論や開発経済学やNGOガバナンスとか「全くもって形式化した学問」をカリカリ勉強していた大学のときの自分を思い出すと、恥ずかしい非常に恥ずかしい。やはり現場だ。こういう現場に一回来て、こういう活動を2時間でもやるといい。1年机上の空論こねくり回しているよりずっと得るものがある。何も知らないで何も見てないで、聞こえのいい真空の言葉を吐き出してるやつがとても嫌だ。