君がいなくなってから、一日が長いよ、東京物語。

仕事終わって家帰って『東京物語』を見る。すごくスローテンポだけど、見ていて飽きない。構図も完璧だし、座して生きる日本人らしいローアングルの画角。尾道から東京の子供達を訪ねて老夫婦がやってくる。子供達もいろんなタイプがいて(もちろんなかには意地悪いのもいるし、天使のような原節子もいる)そのなかで夫婦はゆっくりと時をすごす。妻は体調があまりすぐれないことを気にしつつも、東京から熱海へと。ゆっくりと時は流れる。夫婦の完成形が画面にやわらかく映し出される。そして妻が亡くなる。残された夫は尾道にもどり、つぶやく。タイトルにあるように。

ぼくはそんな感覚まだないかな。誰かがいなくなってから退屈することはある。だけど退屈と一日がながいっていうのはすこし違う気がする。誰かが自分のすぐそばで寄り添ってくれて、手を伸ばせば触れられて、僕のことをおもっていてくれて、僕も君のことを思ってる。愛しているっていうのはそういう静かな川のほとりにあるものなんじゃないかな。

最後のシーン。川に浮かぶ船が上手へ流れていく。船はもちろん妻のメタファーだ。上手というのも、また天国を連想させる。ああ、なんでこうやって書いているだけで涙が出てくるんだろう。すごくよかった。誰かが本当に死んでしまうって言うのに、なんでこんなに穏やかに映せるんだろう。まだおれには無理だな、無理だな。

きっと、自分ひとりならいつでも死ねるんだ。誰かがいて、誰かと一緒にいたいと思ったとき、人は死が怖くなる。そして僕はまだ怖くない。本能的な怖さがあるけれど、芯の部分で、別にいいやと思っている。僕はまだ、死んでも何も失うものがないからだ。

せめて誰かに、生きていたい、と思ってもらえるような映像を撮っていたい。そんな希望を撮っていたい。