ナスターシャ、よくあるはなし、パラドクス・ラブド。

昨日、ともだちと夜、浦和まで行った。ぼくのなかで何かが膨らんだ。よく慣れ親しんだあれだ。

今日、ぼくはひとりで過ごした。ヴィム・ベンダースの三部作を見た。ナスターシャ・キンスキーくらい可愛らしくて美しい人は、何を普段考えているのだろうか。ほんとうに美しいなあ。もしこの先ぼくが結婚して(しばらくしたくないけど)女の子が生まれたら、ナスターシャみたいな女の子になってほしい。そしてロックをうんざりするほど聴かせたい。そして窓から長雨をうんざりした表情で見ていてほしい。学校なんか行かなくていい。勉強なんてしなくていい。泣きたいと思うときに、泣ける子であれば。

へんてこな音楽が意外とある。もちろん、よくない音楽ではなくて、意図的にへんてこな音楽のことだ。ぼくは今日もトム・ヨークのジ・イレイザーを聴いた。へんてこだった。もちろん好きな曲もあるけど。

現実がへんてこなんだから(これは確定的な事実)曲がへんてこなのは、リアルな気がする。リアルを歌うのに、耳障りのいいメロディアスソングを歌う必要があるのかな。いいんじゃないか、ラウドでもパンクでもロックでもヘヴィメタでも。震えさえすれば。

さあ明日から仕事だ。情熱を傾けよう。僕の全てを注ぎ込もう。僕には自分を表現するカメラと環境が整っている。金をもらうから仕事をするわけじゃない。仕事だから情熱を傾けるわけじゃない。赤いから血なわけじゃない。血だから赤いわけじゃない。