チイサナシアワセ、淀む空気、半分だけ惑星。

浅野いにおの『素晴らしい世界』で「家族がいて、恋人がいて、それで十分じゃないですか」と言う。確かにその通りだ。大切なものたちに囲まれている。素晴らしいよ。素晴らしいことだよね。ページをめくりながら、ぼくは「でもね」と思う。ひとり。そう、思う。浅野を前に、そこなのか、と思う。そこが君の言いたいことなのか、と思う。チイサナシアワセ? それ? そして、そうだと分かると、寂しくなる。きみはそこなのか、と。きみはもう一歩先を描ける。と僕は寂しく思う。じゃあその先はなんなんだ? わからない。いまその一歩先にいるから、自分のいまいる場所って意外と分からないものだ。言い訳とかではなく。経験則で。でも浅野の今後に期待。ぼくはごく個人的にかれの感性がとても好きだ。

土岐麻子の『STANDARDS』に所収されている「September」がいい。なんだか寂しい気持ちになる。自分の心が震える。そんな作品には自分の金を使ってしっかり投資したいと思う。きちんと購入する。当たり前のこと。こんど彼女がブルーノート東京でライブすることがあったら、是非足を運びたい。

自分の世界を持っている人が、僕は好きだ。はまっている、というのも好きだ。マニアックな部分を持っている人もとても好きだ。好きなものが何もないという人がいるが、それはあまり自分のことを考えたことがないひとか、伸ばす手がないかのどちらかだと思う。でも、僕が最も嫌うのは、自分の世界を持っている人が、その部屋の中に閉じこもり、カーテンをしてしまうひとだ。そんな部屋の空気はいつか腐る。

まあ、どうでもいい話。本当にどうでもいい話。どうでもよくない話。