UNZARINANDA

 今日で全てを終わらせるために書く。

 ずっと行こうと思っていたけれど行けなかった仙川。なぜ行けなかったのかは、恐らく僕の怠惰でしかないだろう。単純に実際的な怠惰。逃避回避的行為。偶発的事物による非行為。なんでもいい。言葉なんて何だっていいんだ。要するに僕はそこに行けなかった。ただ行けなかった。

 渋谷。明大前。仙川。改札を出ると、小さな小さなロータリーがあった。そして中くらいの木の下に小さな掲示板が僕を見ていた。

 明らかに女性が多い。帰宅途中の高校生で一杯の町。2階建ての家々。狭い商店街を抜ける。ずっと静かな道が続く。ここは東京なのかと思うほど静かな町。

 途中に小川。川の脇には雑草が小さな子供くらいの背丈にまで伸びていて、手すりが少しだけ錆びている。果物屋ミニストップ、十字の小さな交差点。本当にこの町はありとあらゆる意味で完結されている。

 なだらかな坂を下りる。レンガ塀が続く。そして門。深緑の森の中に守衛。僕を見ている。立て札――関係者以外立ち入り禁止。怖い目で見るなよ。何もしない。ただここで見ているだけだ。もちろん、入らない。もう終わったことに立ち入るつもりなんて少しもないのだ。ただ、終わりを終わらせるための儀式にこれは過ぎない。そう言い聞かす僕。立ちすくむ僕。歯医者の駐車場の砂利が足の裏に妙に痛い。

 なぜ僕はここにいなかったのか。なぜ僕はもっと早くここに来ようと思わなかったのか。どうしてなのかは少しも分からない。ナマケモノなのだ。

 朝霞について。朝霞には行ってない。一度しか行ってない。もう薄らいでいる。何もかもが薄らいでいる。くだらないことしか覚えていない。そんなこと覚えているより、もっと覚えて置くべきことがやまほどあったはずなのに、そんなときに限って覚えていない。

 地図で朝霞を見る。でも分からない。思い出したい土地がどこなのか分からない。地形や番地では何も分からない。一度だけで分かるはずもないのだ。

 帰りはひたすら、民生の『意外な言葉』を口ずさむ