コギレイな女は、イイ車の中で笑う、ジャグジー同期会。

早朝出勤で早上がり。とか言っても結局会社出たのは18時。昼間は暖かくても、夕方はすこし肌寒いくらい。なにより日が落ちるのがとても早い。もうすでに辺りは暗い。六本木周辺にネオンが輝きだす。ヒルズが青白く浮かび上がる。テールランプがやけに赤い。車の中で笑うこぎれいな女。こぎれいに笑う女。フロントガラスに赤信号が反射するアヒル口であはは。

女って、ほんとうにほんとうに、可哀想だ。顔がいいか悪いかで、8割くらい人生が決まっているように思えるから。顔がいいだけでも、30くらいまでは、頭の弱い男にすごく大切にされる。美しいものは自分の近くに置いていたい。当たり前のことだ。だけど30から先は分らない。だから女は急ぐ。生き急いでいる。

僕はそんな「美しい女の生き急ぎ」こそ美しく思う。だって彼女達は分っているのだから。分りきった上で、夜更けまで遊び、金を使い、イイモノを買い、残り少ない時間を惜しむ。不幸なことに(そして男性からしたら幸福なことに)彼女たちと同じように美しい女性が毎年毎年量産されている。24歳の美しい女性のすぐ背後には、23歳の美しい女性がいるように。

だから僕は美しい女の行動には大目に見るようにしている。それは愚行ではなく、ある意味では当然の行為なのだ。彼女達には時間がないのだ。きっと彼女達は人生のあるポイントで自分の最盛期を感じる。それが正解かどうかは問題ではなくて、ただただ感じてしまうのだ。今がきっとわたしのいちばんいい時期だ、と。もしかしたら、その後彼女になにかしらの転機が訪れて、より幸せになるかもしれない。しかし――何より僕が言いたいのは――得てしてそうした肉体的な最盛期に対する女性の直感というのは、まず間違いなく当たっている。するすると下るスロープのような老い。とても美しい彼女達なら、その緩やかなスピードにさえ敏感なのだ。

そんなことを考えながら、六本木に再び赴く深夜、同期会の室内はジャグジー。水が放り込まれて底から泡が浮かび水面ではじける。お前も短命か。すごく笑ってやるすごく涙が出そうになる。こらえてポラ・ポラ・ポラロイド。浮かび上がる同期たち。みんな笑ってるよ。こいつら笑ってるよ。