象の消滅、REブラジャー、東京アウトサイド。

新宿都庁にパスポート切り替え手続き。海外出張のためとはいえ、結構な時間受付前の椅子で待つことになる。僕の番号は351。表示板は273。長いこと待つことが分かっていたから、昼飯でも食べに行くか、と思いながらも、外の暑さのことを考えると、ちっともそんな気になれない。仕方なくじっとまつ。村上春樹象の消滅に目を落とす。

あることに気がつく。10つだか11つだかの受付担当者はみな、少し年のいった女性なのだ。『受付業務法第3条4項イ=受付業務に任ぜられたものは、すべからく女性であることを必っす。その際当該女性は原則として更年期前後の年齢であることが望ましい。』などと掲示板がぶら下がっているかのような、旅券発券カウンター。

そして僕はブラジャーについて考える。ブラジャー。ブラ。10の受付(11かもしれないし12かもしれないが便宜的に10としておく。そんなに差はない。)には10人のパスポート発給希望人が立つことになる。今日は暑い。薄着だ。透ける。透けようと念じなくても、透ける。女性はあまねくブラジャーをしている。僕は思う。トリンプ。ワコール。違う違う。僕は考える。ブラジャーとは一体。それは女性の自尊心であるのか、あるいは男性の虚栄心なのか。ブラジャー。ブラ。どっちでもいい。一度世界からブラジャーが消えるとする。世界からだけでなく、人々の記憶からさえもなくなるとする。パチン…OFF。消えた。きれいさっぱり消えた。今あるのはブラジャーが消えた世界。白だか黒だか青だかレースだかワイヤーだかホックだか、そんなものが一切合財消えた世界。果たしてそれは不合理な世界なのだろうか? 一体誰に不都合だというのだろうか? でも、きっと誰かがまたそれをつくる。どこからともなくそういう方面に熟達した仙人のような人が現れ、パワーポイントか何かで「胸巻き(ブラジャー)に関する有意義性と美」を発表し、環境学会では「これ以上の布資源の無駄はやめろ!」と紛糾し、芸術学会では「画期的な衣類、求めていた御椀型の完成!」と賛美される。結局学会間の対立は平行線をたどり、世間一般で少しずつ認知され、受け入れられる。「悪習コルセット再来! 女性の束縛はうんざり!」とプラカードを掲げたフェミニスト集団が永田町あたりをデモするだろう。彼女達はあくまでブラジャーに屈しないと考える。けれど趨勢には叶わない。誰もがみな美しくありたい。きっとそんなものだ。必要なものしか残っていかない。

新宿武蔵野でオダギリジョーの『ゆれる』を見る。決していい映画ではない。もう一度見たいかと問われれば「八甲田山でも見ることにするよ」と答える。でも、決して悪い映画ではない。だから引っかかっている。きみはバスに乗るの? トーキョーにしか住んだことが無いことが、少し悔しい。その文化と心情が理解できないからだ。本質的な部分で。さて、さて。ゆれたのかこころは? ぼくのこころは?

とにかく、とにかく。ビールとジャズがとても美味い夜。ぼくのなかのドーナツはすこしずつ埋まりつつあるよ。