HARUKI DISPARATE

12時起き、部屋の掃除、クロネコメール便西友にパスポート、イトーヨーカドー週刊誌流し読み、クリーニング屋3日後また来てください。

いろいろ迷ったけれど、500円のクリーニング屋のおっちゃんに任せることにした。早朝にあんだけ気持ちよさそうにクリーニングをかけているのをみると、きっとニットも気持ちよいんじゃないかなって気がしたからだ。

昨日の夜、スプートニクの恋人を読んだわけだけど。春樹を読むといちいち胸を押し広げられて、バケツに汲まれた冷たい水を薄く薄く敷衍されていくようにひんやりとした気持ちになって、どうにもさびしい気持ちになる。

どうやら、春樹の世代(80's)は自らの居場所を捜し求める世代だったのだと思う。「僕はどこにいるのだ?」(ノルウェイの森・下巻)なんかは本当に言うまでもない。まあ、そんなことも時間が経ってみればわかることで、読んでる最中は春樹ジャンキーだったからもう視野狭窄に陥っているわけで、何もかもがガラガラと崩れ落ちそうな物のように見えた。でも、もう僕はそのジャジーな土地からは一歩はなれた場所に流れ着き始めていることが分かる。時間の川が少しずつおれを押し流すということに他ならない。

大学生の頃、といってもまだ大学生だけれど、春樹の小説に出てくるような主人公の生き方にあこがれた。日がなゆっくり時間をすごす。時間はいくらでもある。好きな映画を見て、好きな小説を読む。時にはセックスをし、たまに鉛筆を研ぐような生活。そんな生活が僕の将来にはあるように思えた。むしろそれ以外の生活はただあまりにも現実主義的な営みのように思われたし、非人間的人間生活のように思われた。だけど、今はもうすぐ違う場所に行こうとしている。

それは多分チャレンジしてみようと思ったからだ。チャレンジ。悪くない。今から医者になるには少し難しいことだけど、今ならまだ間に合う気がする。嫌になったら、我慢が出来なくなったら止めれば良い。いつでも春樹の生活には戻れるのだから。でも、多分戻らないんだと思う。きっと。僕はそういう人間だから。たぶん。

この言葉が僕に響いた。

でも過ぎてしまえばみんな夢みたいだ