ISETANIAN*SEKAIKEI

8時起き、11時新宿、11.5RAGTAG、12時伊勢丹、13時東京大飯店、14時伊勢丹、15時高島屋A.P.C.、16時ロフト、17時伊勢丹、18時紀伊国屋、19時帰宅、

伊勢丹で6万のベルベットを買っちまったー・・・・後悔というか、どうしていいのかわからない虚無感?みたいなものがある。ついにいくところまでいっちまったか、みたいな。今月は服だけで10万はいってる、いっちまってる、いっちまえ!

明日は急遽、軍鶏丸の面接ということになった。どうやらなった模様である。14時から。大変な緊張がしてきた。いいのか俺?みたいな。その前にRAGTAG@shibuyaに行ってバーバリーのパンツを売りさばいていこう。行っちまおう。

今日6万散財して、今月の共同が4万だと思うから、-2万+後一ヶ月分の生活費が必要なわけで、堂見積もっても、10万今月稼がないといけないわけで・・・

  • ジョイポリ 週2.5=月10=50000
  • 共同    月40000
  • 軍鶏丸   週2=月8=48000

◎138000!!
オッケー、頑張って働くばい!

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

うる覚えだから書くのがいやなんだけど、セカイ系という世界観について書く。忘れたら勿体無いから。『最終兵器彼女』とか『エヴァンゲリオン』(懐かしい!)に見られるような世界観で、一般的に我々は 個人=国家=世界 というつながりを持っている。個人は国家と結びつき、国家が積分されて世界(地球)が存在する。これが普通だ。
だけど、セカイ系は違う。個人は国家を飛び越えて世界になる。つまり、国家が抱えるイデオロギーやら戦争やらは無視して、個人の持つ世界観が世界の全てになるという現象。マクロを失ったミクロがマクロと等価になる。ミクロのマクロ化とでも呼ぶべきか。世界ではなくセカイとなっているのも、個人レベルに世界が落としこまれているからだろう。
ではなぜ、このようなセカイ系が生まれたのか、あるいはなぜこのようなことが考え出されたのか。それはひとえに冷凍都市だから。つながりがないから。連帯感がないから。自分さえよければどうでもいいから。他人の監視の目がゆるいから。村八分の恐れがないから。関心がないから。
荀子性悪説を唱えていたけど、おれもその通りだと思う。要するに誰もが怠けであり、自分を律しながら生きている。実際ね、石油1バレル60ドルを超えようと超えまいと、結果的に俺らの生活に及ぼそうと及ぼすまいと、そんなのは生活の中での微々たる変化であって、「あー今日は糞がでねーなー、ポテトくいてー、セックスしてー、あの女超エロそー、セックスめんどいからオナニーでいいや、ホテル代もったいないしー」とかの方がよっぽどリアリティあるわけ。俺でさえ。変ないいかだけど、俺でさえもが。
世界が効率よく回るために細分化されて、それが増幅されて、また効率化されて、どこまでもミクロにミクロになっていく流れのなかで、そりゃ個人もミクロ化するでしょ。歯車化するでしょ。アホみたいな、感情的でない生活もするでしょうよ。プロ野球でワーワー騒いでても、結局プレイしているのは自分ではなくて、とどのつまりただの傍観者。ただの傍観者でしかないわけ。楽しんでいるつもりで、そんな空虚さに傷ついているわけよ。だからセカイ系なんかも生まれても良いよ。好きなだけ生まれたら良いよ。自分の拠って立つところがわからなくなったら、せめてこじんまりとしたセカイの中で生きれば良いよ。それが幸せで、その中でなら歯車を外れることが出来るならそれでいいんだよ。