KIOKU*SAMIDARE*OKIISHI

 例えばこんな命題が転がっている。

 『すべての物事は等しくその影をひそめていく』

 この命題にはいくつかの矛盾がある――むしろその全てが誤りだと言ってもおかしくはない。

 一つ、全ての物事、という点があやまり。どうでもいいことはその瞬間からどうでもよくなる。一つ、等しいものなどない。一つ、影をひそめていく、というのはおかしい。当時は訳がわからなかったことでも、むしろ後々になってより一層その影を濃くする。いずれにせよ、このように選別された物事は記憶の襞にすいこまれていく。もちろん途中ではじかれるものもある。

 高名な、ロマン=ロラン著『ジャンクリストフ』についてデレク=ハートフィールドことハルキ=ムラカミは彼の処女作においてこう言っている。ディティールの集積こそがその全てだ。

 僕も全くの同意見。本を読んでいてありありと情景が浮かんでくる、というのはその情景が著者の力量によって精述されているか、あるいは読者が極度のお人よしか。

 意識の外へ外へと静かに運ばれる今日。時折置石のように残るものもある、まるで何かの間違いだったんです、と言わんばかりに。それが我々の石垣となる、それ以外には存在しない。ためしにその石を手にとって、自分なるものの最も静謐な部分に放り投げてみるといい。跳ね返ってきた音と、跳ね返ってくるまでの無音の長さが自分というものだ、と思う。


 ◎ 四十日と四十夜のメルヘン / 青木淳悟

 新人賞受賞の新潮掲載作品と、受賞後第一作が所収された単行本。大衆受けしないこと請け合いだが、そんなことはお構いなく、この青木淳悟の作品を激賞したい。そしてなんなら普段被らない帽子を被ってあえて脱帽したい。表題作は散文を装いながらロジカルにかつ増殖現象というものを文字で表現している。この作品を読むとき、僕は少なからず、殖え続ける人間というものが気持ち悪くなった。個人的には二作目をお勧めしたい。