引越しで人生をかえることは可能かもしれない

r-mutt2008-05-18

引越し物件をさがしているうちに環境の変化というものを考え始めた。

住環境や職場環境というものは社会的生活を営む上で避けては通れない。現状の住環境で満足できなくなったのは自分の社会性が向上したことや感覚が成長したことによるもの。そして現状のものはあくまで高校生までのものだったとはたと気がつく。

小中高と公立校に通った。クラスの大多数は公立に行き、友達は全員公立に行った。だから私立という選択肢は元からなかった。東京都は学区域ごとに複数の学校を設置し、その中から選択させている。僕は結果として通っていた小・中・高校が好きだったから良かったけれど、それゆえ「そもそも何でここに住んでいるのか」さえ考えもしなかった。好きになれる公立高校がなければ引っ越すか私立に行かねばならなかったんだとおもう。もしかしたら不満足のままなんとなく過ごしていたのかもしれない。

大学になると僕は片道1時間半をかけて神奈川県の私大に通わなくてはならなくなった。同級生の半分くらいは大学の最寄り駅ちかくに生活を始めた。ぼくはなんとなくそんな気になれなかった。その当時の同級生で友達とよべるやつは不思議と一人暮らしをしていなかった。今度一緒にルームシェアを始めることになったうちの一人(大学の同級生)もその中の一人だ。「当時、環境から離れることは致命的なことだとおもった」と彼は言った(話は少し脱線するけれど、その友達は環境選びに成功していまはデザイン関係の大きな会社に勤めている。彼は昔からそれを望んでいた)。「あんな山奥で4年間過ごしたら人畜無害な人間が完成するね」

もし当時一人暮らしをすることになったら、もっと別の場所にしていたと思う。文化に飢えていたぼくはきっとそういうモノとヒトが吸い寄せられているバショに生活を始めていただろう。そしてそれはもう既にできない。

だからこそ今ぼくは環境を変えようとしている。いまの場所からでも会社にはいける。気の置けない友達もたくさんいる。しかし変えたい。変えなくてはいけない気持ちになっている。