だけど、だけど、だけど!

r-mutt2007-07-11

佐藤友哉『1000の小説とバックベアード』。好きな若手作家のひとりなので日本から取り寄せた。すごくよかった。本当は三島賞受賞を知ってから、そもそも作品の存在を知ったんだけど、右足が先か左足が先かみたいな順番の問題なんて別にどうでもいいのであって、とにかくいい作品だ。読めばわかる。

日本にいる時よりも読書量は確実に落ちているのは、ここエジプトでは日本語で書かれた文章アクセス方法が皆無に等しいということが何にもまして挙げられるんだけど、まあそんなことどうでもいいや、本当に書いておきたいことと違うし違うし。さて本題要するに、僕はいまとても悩んでいるということ、それが言いたかった。書きたいことがない小説家がいるように、したいことがないフリーターのように、撮りたいものがないカメラマンがここにいるのです。いやいやそれは極論のしすぎだな。撮りたいものがない、というわけじゃない、どうやって撮ればそれがうまく伝わるのか、全然わからないのです。

上司からは「ロボットか」と言われ「おまえ要領いいし、器用だからなんでもこなせるから、おれの言うことは必ず撮るけど、その最低限撮ったらおしまいみたいな、淡泊なんだよそこからお前が考えてこういうのを撮りたいこだわりたいっていうのはないのかよ」ってそれもはや致命傷です。

書きながらくっそーとむかついて着てるポロシャツをさかさまにしてみたはいいものの特別おもしろいことがないのですが、そしてそして、人には得意不得意があるからとか言って逃げ出したくもないしやっぱり向上していきたいわけ社会的生物なんだから。だからこそおれはもっと考えないといけないんだよなやっぱり。かつての小学校の担任の先生が「指示待ち!」といってぼくを怒鳴ったようにぼくはいつからか考えることを放棄してしまってて、記者やディレクターが考えていることを忠実に再現するためだけのロボットになってたんだよな。本来楽しむべきはずのクリエイティブな側面が、ただのタスクにしかみえていなかったようです。さらにさらに自分に自信がないあまり一度撮ったOKカットを何度も何度も繰り返して、これがダメだった場合の保険にもうワンテイク重ねておくかみないな、そんな保険まみれの最低限度を維持することに精いっぱいだったわけで。

もっと考えて撮る、ってなんか最近しっくりこない。何をどのように考えてとるのか、っていうのが全然伝わってこないし、ただの標語みたい。いや標語なら意味はつたわってくるか。考えてっていうのがよくないんだよなー適切な言葉はないかな。うーん具体的に言うしかないよな−。目に映っている現場をそのまま撮るなら素人で、それをレンズの特性を活かしてより効果的にかつ色気のある表現をしたい。ということが目下の目標、というかカメラマンとして(少なくとも現時点ではカメラマンなんだから)生き残っていくための、それこそ必要最低限です。っていう、今上から読み返したら、完全に自戒的文章に終始した今日。