思い出は、嘘ばっかりだから、とても綺麗だね。

一年分の文章読み返しました。その中から、いちばん好きな文章を再掲したいと思います。僕自身この文章がとても好きです。この文章(ちょっとしたお話)の要点はようするに、自己嫌悪した女の子が窓の外へと飛んでしまうというただそれだけのことなのですが、何が好きかっていうと、最後に主語が逆転します。逆転してしまうソコです。きっと最後くらい客観的に自分を嘲りたかったんだろうなというところです。僕はこんな文章が書けるようになってとても嬉しい。

20061021
あっけなく途切れてしまうような関係が世の中には山ほどあって、それでもみんなそんな細い糸握り締めて、分かってはいてもぬかるみに突っ込んでしまうような気持ちで生きていて、それでなくても時間ばかりが過ぎていて、歳をとって、それでも好きでもない人とキスしてセックスして、窓の無い部屋のベッドの上でため息ついて、セミの抜け殻みたいな気持ちになって、いい加減学習しなよ私とか思って、声にならない声上げて、美しいってなんだろう、とかふと考えてしまって、答えなんて見つかるはずもなくて、生温いシーツから抜け出して、閉じられた窓をすぅーとスライドさせると、朝が来てて、今の主役はまさに太陽なはずなのに、またすぐ夜が来るな、って思えて、差し込む光に浮かぶティッシュがあーいやだいやだ、思わず顔を確かめて、ベトベトが無いことを確かめて一安心、化粧落とさなきゃと思って、いびき立てて眠る男のケツを蹴るともぞもぞと動き出して、でも結局また寝てて、誰だよお前死んじゃえよ、って言いながら自己嫌悪で、水が枯れた蛇口のような気分で着替えて飛び出していくよ、さっと、ふわっと、まるで鳥みたいだ、羽がもげた鳥みたいだ。

一年分の日記を読み返してみて、思うのは、やはり最近は落ち着いたなあということ。これが感情の平均化というやつか。なんて悪しきことだろう。とか思いつつも、きっとこれは程度の差こそあれ、みんなに平等にやってくるんだろうなあ。

1月から3月までは結構好きかってやってた。作った映画『HARD2SAY』のことは一生忘れない忘れられない。大学も卒業した。本当にあれは今年のことか?と思うくらい。このころがいちばん芸術に触れていたかな。NYにも行った。4月から入社。社会人らしいスーツをビシッ的会社ではないマスコミ。最初きつかったけど案外楽しくやれてる。馴れる。5月にはあの人に会えた。会えたけど、遅かった。失った人を取り戻すということが如何に難しいか。その多くは取り戻すことなんてできやしない。思い出はいいね。思い出は嘘ばっかりだからとても綺麗だね。6月から8月。研修期間で死ぬかと思う。なんどか本当に進退考えた。でもやってやろうと思った。今思えばなんでもないことなんだけど、そのレベルに達するまでっていうのは本当にたいへんだ。9月から12月。仕事仕事の日々。早い。鹿島に行けたのがとても大きかった。そして北京。熱出したけど気合で乗り切ってよかった。後悔のないように生きるっていちばんストレスたまらない。

今年一年のテーマはやはりOPEN/LOVEです。どれだけ人を受け入れることができるのか。暴力には非暴力で止揚するのが優しい。いろんな人の出会いがあって、楽しかったけれど、またひとりふたり誰かを失ってしまった。過ぎ去ってから大切さを感じる人もいた。たくさんいた。会いたくなったけれど、会えるわけもない。僕はとてもバカだ。スタバで読む村上春樹はなんだか「いかに君は時間を無駄にして生きているかわかっちゃいない」って言われているようで、じゃあ何が無駄なのか。何が無駄じゃないのか、って考えたときに分かるはずもなくて、でも最近はやっぱりあんまり一生懸命生きていない気がして、夢中になっていない気がして、そういう状態はとても気楽な気がして、でも本当はいちばん苦しいのです。

日記をつけるというのはとても苦痛な作業です。ありのままに書くことができるのは本当はこんなOPENなスペースであるはずがなくて、本当は机の引き出しの中にあるノートにひそひそと書き付けていくべきなのです。でもなぜだかこのブログは書きやすさを感じるのです、多少名前を出すのを控えているからかもしれない。ことしmixiというのが流行りました。多分続いていくのでしょうけれど、やっぱり僕は手を出したくないなと思うのです。自分のことが不特定多数のひとに流れ出ているということ。危うい。「閲覧の範囲が広がれば広がるほど、書けることがどんどん少なくなっていく」とある人は言っていましたが、やはり人間である以上、知らぬ誰かが知るワタシというのは心理的に怖いのです。

話が脱線しましたが、いつのまにか丁寧語になっていますが、それもまたよしとします。それでは僕はこれから出勤して泊まり勤務してきます。年越しは明治神宮で撮影していることでしょう。僕は幸せを撮っていたい。誰かが少しでも幸せになるようなそんな映像を撮っていたい。